第1回

第1話 王 貞治(現役)の時)

王貞治の洗礼
3月22日( なぜ王貞治かって?NHKでドキュメントしてて彼の努力に感動したからです。)         
知らない人はいないと思うがプロ野球界のホームランです。高校2年のときにエース・4番で早稲田実業を、の甲子園で優勝に導き1959年に巨人へ入団。もともとピッチャーとして入団したがキャンプ途中で野手(一塁手)にコンバートする。てかピッチャーでは通用しないと見切られた。オープン戦では5本のホームランを放つも開幕戦では2三振のノーヒット。オープン戦とは違うプロの球に困惑し26打席ヒットが出なかった。しかし27打席目に初ヒットが!!しかも決勝ホームランとなった。しかしその後伸び悩み打率2割に到達することなくルーキー1年目が終了。

一本足打法の完成
3月23日
2年目3年目と打撃成績は伸びなかった。しかし4年目の春に荒川博打撃コーチを迎え入れ王とのワンツーマン始動が始まる。一本足打法の始まりである。しかし実戦ではまだ使われず王の不振はまだまだ続いたにである。その年長島も調子が上がらずチームも不振にあげいていた。7月1日ヘッドコーチ(名前忘れた)が王について荒川打撃コーチともめた。内容はこんな感じ↓
ヘッドコーチ「王はいつ打てるようになるんだ〜〜〜」
荒川打撃コーチ 「ホームランならいつでも打てるが三冠王とるためにいろいろ模索しとるんでござんす」
ヘッドコーチ「そんなんええから今日からホームラン打たさんかい」
荒川打撃コーチ「わかりました。ほなそうしますわ」
もちろん荒川打撃コーチは嘘をついた。その日の試合に一か八か一本足打法をその試合で実戦したのだ。一打席目にいきなりホームランが飛び出しその試合は5打数の3安打と打ちまくったのだ。それまでばらばらだったフォームが一本足打法によって固定され安定した打撃フォームになったらしい。その年38本のホームランを打ちホームラン王のタイトルを獲得した。てか文章長いOTL

打倒一本足打法
3月24日
一本足打法が完成し誰も王を止めれなくなった。他球団のピッチャーが 一本足打法攻略にのりだした。(背面投げとかしたピッチャーもいたらしい)しかし一本足打法の完成度は高くホームランを量産していった。だが一人だけ対等に投げてくるピッチャーがいた。その名は金田正一国鉄のエースだ。金田が投げる150キロ以上の速球と100台のスローカーブは一本足打法のタイミングを巧くずらし王を完璧に抑えたのである。
金田について
国鉄→巨人 昭和69年、前人未到の400勝を達成した凄いピッチャーです。他に沢村賞3回、最優秀防御率3回、ノーヒットノーラン、完全試合各1回、最多勝3回、奪三振王10回、14年連続20勝
今のプロ野球では無理な記録である。昔は連投連投が当たり前だったから。ちなみに負け数も日本記録保持者。

世界の王へ・・・
3月26日
更なる進化のために王は合気道や真剣を取り入れ、 荒川打撃コーチ との二人三脚での特訓を毎日行っていった。そして変化球でタイミングをずらしてきても王はびくともしない強靭な足腰を作り上げた。どのピッチャーもお手上げ状態になり王を止めれなくなった。
王は選手生活22年で868本のホームランを打ち当時の世界記録保持者のハンクアーロン(755)を抜き王は、国民栄誉賞第1号となった。
王は決して恵まれた体格ではないが鋭い洞察力と選球眼そして人の倍以上の努力で世界の王となったのである。                                                                 =完=

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